平和な世界を次の世代に渡そう
ー第52回日本母親大会(長野県)に参加してー

 第52回日本母親大会が7月22日(土)〜23日(日)、2日間の日程で長野市において開かれた。「いのちを生み出す母親は、いのちを育て、いのちを守ることをのぞみます」のスローガンをかかげ歩み続けた大会は今年で52回になる。毎年2万人の女性が全国から集まり、子どものこと、くらしのこと、平和の問題など母親・女性の願いを話し合い学んでいる。

 今年の参加者は2日間で延べ16.000名、熊本県から43名、熊本大学教職員組合から2名参加した。出発の日は、記録的な大雨となり、気象庁が最大級の警戒を呼びかけるという悪天候であった。私たちはどしゃ降りのなか、まるで川のように氾濫している道を必死で熊本空港へと向かった。私たちの団体では4名の人が時間に到着できず、気の毒にも予定の便に搭乗できないという事態も起こった。中部国際空港にて大分県代表団と無事に合流し、バスを貸し切り、大会期間中行動を共にした。長野に向かう高速道路は豪雨の被害で通行止めとなっており、木曽川沿いの道を7時間半の長いバスの旅となった。バスの中ではこの豪雨で災害に見舞われた長野の犠牲者の方々に対する緊急のカンパ活動を行った。
 大会の2日間は前日までとはうってかわった晴天に恵まれ、全国津々浦々から集まった人たちをみて豪雨に負けない婦人のパワーを感じた。

<1日目> には長野市内5ヶ所で39の分科会やシンポジウム、鼎談などが行われた。出席した分科会「子どもたちの声に耳をかたむけよう(2)登校拒否・不登校が問いかけるもの−一人ひとりを大切に−」から学んだものについて報告したい。信州大学教育学部の一講義室で行われたのであるが、参加者が多く、床に新聞紙を引きその上に座っての参加になっても、移動する者はおらず、如何にこの分科会に関心を持っておられるかがその姿からもうかがえた。助言者は元熊本大学教育学部の前島康夫先生であった。先生は埼玉県の「不登校・ひきこもりを考える会」でご活躍のようで、その会の出席者からの貴重なお話も聞けた。出席者の中に、当事者とそのお母さんもおられ、何故そうなったのか、その間の生活と思い、母親の思い、そしてどう取り組んだか、また、それに対する教師の対応とそれに対する思いなど、具体的に意見が聞けた。外から見て一見「怠け癖」と見てしまいがちだが、ある子が「何で休み始めた?」と自問自答が始まり「わたしどうやって生きていたのだろう?何を考えて生きていたのだろう」と内省し「自分の中身がないことに気づいた。そしてまわりがこうするから自分も……と。このように行かなくなってから自分と向き合うようになった。また、家にいる自分は向き合わざるをえないのです」といい、「何もしなくて3食食べて、寝てという生活が辛くなり食べたくなくなってくる」そして、「自分は不登校ではないんだ。自分の人生の生き方として選択しているんだ」と…。そして「自分が選択したことを乗り越えて行くにはすごいエネルギ−がいるのです。学校に行かないのを選択するのにも…」と、こんなにも明解に自分の意見が言え、真剣に自分の生き方を考えて頑張っている思春期のこどもたちに感動すらおぼえた。体験している当事者の貴重な意見が聞けたことに感謝した。いつか、詳しく報告できたらと思う。

<2日目> はエムウェ−ブで『守ろう!生かそう!憲法・教育基本法』そして、『手渡そう!こどもたちに戦争のない世界を』という大きなテ−マをもとに全体会が開かれた。そのテ−マをもとに澤地久枝さんが「地球の母であること」と題して記念講演をされた。病気をおして記念講演をお引き受け下さったそうで体調を気遣いながらの講演ということで、この母親大会への熱い思いと熱意を感じ、この大会出席はやはり価値あるものだったと胸が熱くなった。澤地さんは憲法9条を平和憲法と謳い、それを改憲してはならない引き継ぐべきものと一歩も引かない決意のメッセージを熱烈に語られた。私の心に響いた3つのことを紹介し分かち合いたいと思う。
  1. 第1回日本母親大会に出席した日のことを話された。1955年6月に第1回日本母親大会は開かれた。「演壇近くのマイクを目ざし発言待ちの女性たちの列がずらりとできた。その人たちが語ったことは、いかに戦時下において苦しい日々があったか、こんなつらい体験は我が子にも孫にもさせてはならない。二度と戦争を起こしてはならないという血を吐くような叫びだった。まわりの記者、カメラマン、取材する大勢の男性がもらい泣きをしていた。それが第一回日本母親大会の実に痛烈な、涙と訴えの大会であった。この辛い体験者の涙と訴えを原点としてうけとめなければならない」と当時、雑誌の編集者で24歳であった澤地さんが76歳になられ、「地球の母」として、全国の女性・母親たちに母親大会の力を継承された。

  2. 第二次世界大戦で日米が戦ったミッドウエー海戦の遺族を取材した澤地さんの「アメリカの遺族には、夫をミッドウェ−で亡くし、その時胎内にいた息子を再びベトナム戦争で失ったという女性もいる。しかし、日本では戦後、息子が戦死したという人はいない。それは憲法9条があるからだ。この2つの国の違いは大きい」という内容はとても説得力があった。憲法9条は日本の戦争参加の歯止めとなり、偉大な力になっていると実感した。痛切な歴史的体験を語り継ぎ、9条の重要性をこのように分かりやすく若い世代に伝えたいと思った。

  3. また、澤地さんは、五味川純平氏『戦争と人間』の資料助手を10年務めた経験から、「軍隊にはリンチがつきもので上官から歯が折れるほどの暴力を受け、ハガキの代金(赤紙)が1銭5厘だった当時"おまえたちのような兵隊は1銭5厘でいくらでも代わりはくるのだ"と。これほどにいのちが軽く扱われた時代が歴史としては60年前にこの国にあった。今の1円が100銭で「おせんべい一枚が1銭」の時代で、おせんべい1枚という軽いいのちとして扱われていたという史実を若い人たちに伝えなければならない。二度といのちが軽く扱われる時代にしてはならない。ここから1ミリも引くわけにはいかない。1ミリでも前進しましょう」と訴えられた。大きな拍手が湧き「平和な世界を次の世代に渡そう」という女性たちの思いがひとつになったと思った。澤地さんの一言一句は説得力があり、エムウェ−ブという広い会場の女性たちを力づけ大きなパワ−になっていくのを感じた

 皆さんからパワーをもらい、これからも熊本県母親大会、日本母親大会に参加しようとの思いをさらに強くした。来年は関東地区で開催される予定です。これまで母親大会に参加したことのない方、是非、ご参加下さることをお奨めします。きっと感動なさることでしょう。


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女性部会ニュース
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2006.8.28
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