2007.8.2 |
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E-mail:ku-kyoso@union.kumamoto-u.ac.jp |
私たちをめぐる情勢 新自由主義的経済政策のもたらしたもの 1980年代にイギリスのサッチャー政権とアメリカのレーガン政権によって始められた新自由主義的経済政策は、国家による福祉・公共サービスの縮小と、市場原理主義・規制緩和を特徴とする。その背景には企業間の自由な競争が経済活動を活発にし、豊かな社会が生まれるという競争至上主義の考えがある。これは先進国だけではなく、IMFなどの圧力を通じ発展途上国にも導入された。その結果、一部に成長と繁栄がもたらされたものの、世界各地で失業の増大や格差の拡大が生じている。地域経済を支えていた農業・漁業なども、国際市場に組み込まれ、価格の変動に庶民の生活が直撃される状況が生まれている。格差の拡大は貧困層の不満を高め、地域紛争の火種にもなっている。 日本でも歴代政権によって新自由主義的経済政策が、民営化や規制緩和という形で推進されてきた。しかし企業間の競争が進む中で、リストラや非正規雇用の増大という雇用不安が生み出されている。正規雇用で安定しているはずの労働者も、過密長時間労働に蝕まれている。しかもこのようにして労働者を犠牲にして生み出された利潤も、企業の経営体質を強化するという理由で賃金には回されない。その他にも、企業の生産拠点の発展途上国への移転による国内生産の縮小と、下請け企業へのコスト削減圧力なども強化されており、競争至上主義は格差拡大の大きな要因になっている。現在社会問題となっている格差拡大が安倍政権のいう「再チャレンジ支援」で解決し得ないことは明らかである。 また競争至上主義は経営者のモラルの崩壊さえ引き起こしている。廃棄物の不法投棄、インサイダー取引、介護報酬の不正請求、偽装請負、牛肉偽装事件などといった、様々な違法行為が続発しているし、違法まがいの詐欺的商法や労働者の安全をまったく考慮しない労務管理・サービス残業なども一向に無くならない。そしてこの社会のモラルの低下は、青少年の教育に深刻な影響を与えている。 さらに、近年明らかになってきた地球温暖化は、産業活動の拡大に伴う温暖化ガス排出が原因と考えられている。経済発展そのものが温暖化と結びついているのであり、自由な競争によって経済を活性化させるという新自由主義的な政策は根本から転換が求められていると言えよう。今必要なのは、競争によって経済を活性化させることではなく、限られた資源を有効に活用し地球環境との調和を保ちながらいかに物心とも豊かで安定した平和な社会を実現するかということではないか。 国立大学に蔓延する歪んだ競争至上主義 しかし、この競争至上主義は国立大学にも及んでいる。それは現在の大学改革の方向をまとめた大学審議会答申(1998年)が「競争的環境の中で個性が輝く大学」と題されたことに端的に現れている。特に2004年の国立大学法人移行は、独立行政法人の枠組みを基本としたために、競争原理の更なる強化のきっかけとなった。国立大学法人法の国会附帯決議である「運営費交付金の算定に当たっては法人化前の公費投入額を十分に確保」、「国公私立全体を通じた高等教育に対する財政支出の充実に努めること。また、地方の大学の整備・充実に努めること。」などの事項は反故にされている。 しかもここでの競争は決して公正なものではない。第一にすでに少数のしかも特定の大学に金・物・人が集中的に配分されており対等な競争の条件が確保されていないことである。評価に基づく資源配分という考え方は、特定の大学への資源のさらなる集中を促すことにしかつながらない。 第二に高等教育予算が削減されてきた結果、運営費交付金では人件費すら確保できないという事実である。大学は予算獲得競争に参加しなければ現状の教育研究条件の維持すらできない状況に置かれている。 第三に競争の結果を判断する基準がなく、政府の恣意的な判断を排除できないことである。結果として各大学は政府財界の意向にそった改革を「自主的」に進めざるを得ない。学内での文部科学省官僚の発言権は増し、まさに「政府従属法人」と化しつつある。この最も典型的な例が山形大学学長選での結城事務次官かつぎ出しの動きと言えよう。 このように現在の国立大学間の競争は、条件の公平性も対応の自主性も確保されていない。結果として教職員は内在的必然性の乏しい改革に追い立てられ、多忙化が進み疲弊していく。しかもその努力が教育研究条件の改善という形で報われる保障はない。これが多くの教職員の実感ではないだろうか。今国立大学間で行われている競争は、このように歪んだ競争である。必要なのは競争原理の強化ではなく、歪んだ競争至上主義を克服し、教職員が自主的に教育研究の発展に向けて努力できる環境を作ることだ。 さて、経済財政諮問会議の提言から運営費交付金に競争的原理を導入する動きが露になってきた。地方からの強い反発に「骨太2007」での表現は「運営費交付金の適正な配分」という形に弱められたが、問題は決して解決したわけではない。そもそも独立行政法人の仕組みが中期計画期間の業務遂行状況の評価のもとに、組織の存廃も含めて検討するものであるからだ。現在業務組織評価のための資料作りが進められているが、その結果で運営費交付金の額が決まるというのは独立行政法人の仕組みそのものなのだ。運営費交付金に競争原理を導入させないためには、国立大学法人が独立行政法人ではないことをより鮮明にし、国立大学法人法の枠組みそのものを変えていく運動が必要不可欠だ。その運動なくしては歪んだ競争至上主義におかされた国立大学を救うことはできない。 熊本大学の教育・研究・医療の発展のために 組合は歪んだ競争至上主義の克服を訴えているが、改革の必要性を否定するものではない。より良い教育・研究・医療を実現するための教職員の自主的な努力は積極的に推進されるべきと考えている。 そしてその努力を促すためにも賃金面での正当な処遇を確保することが不可欠と訴えてきた。 しかし、熊本大学教職員の賃金水準は国家公務員や独立行政法人職員と比べて極端に低くなっている。国立大学法人に求められているのは賃金水準について社会一般の基準に適合させることであるから、それより低い熊本大学の現状は早急に改善に取り組む必要がある。また教職員の自主的な努力が報われるような措置も必要である。ただし上からの評価のみによる査定では評価視点の単一化が避けられないし、恣意的な評価への疑念が残る。これは自主的な努力を阻害する要因にもなりかねない。教職員が納得し理解できる評価システムの構築が必要である。 そして教職員個々の自主的な努力を保障していくためにも、学内の民主的な意思決定システムの維持は不可欠である。教職員の業務遂行に密接に関係する事項を、教職員の声をまったく聞かないまま決めてしまうことは、結果的に業務の混乱と停滞を引き起こす。学長は政策判断の前に教職員の意見を聞く責任がある。教職員の意見を無視して進められる改革が成功するはずはないことを銘記すべきである。さらに学長選出における選挙(意向聴取投票)の位置づけは軽視されてはならない。 上記の観点から熊本大学における組合の役割はますます重要なものになっている。組合はその責任を自覚するとともに、職場環境の改善とより良い教育・研究・医療の実現のために全力を尽くす。 組合活動の基本方針 2004年4月1日の法人化以降、国立大学の教職員は非公務員化され、私たちの勤務条件は基本的に各大学の労使の話し合いを通じて決定されるようになりました。各大学の労使の創意工夫によって、労働環境の改善・充実が図られる余地が広がったともいえます。 しかし、熊本大学の現状は、こうした可能性が十分活かされているとは言えません。とりわけ、公務員制度に固執する使用者側の態度は、労使の合意のもとに労働条件を決定するという労働法の原則を事実上形骸化させています。これは地域給導入に伴う賃金の大幅切り下げや、一部人事交流職員のみに適用される特別都市手当・広域異動手当に端的に現れています。就業規則改正の根拠を公務員制度の変更以外には事実上提示することができないのですから、労使の議論はまったく噛み合わない状況に陥っています。昨年以来の労働争議状態ともみなしえる労使関係は、労務管理における公務員体質からの脱却がまったくできない使用者側に責任があります。 私たちは、熊本大学の持続的発展は健全な労使関係の構築の上に成り立つと考えています。その中で働く意欲を生み出す労働条件、職場環境の整備・改善に向け、昨年度の取り組みを継承・発展させながら幅広い活動を展開していきたいと考えます。 1. 明るく働きやすい職場を作るために
下記項目について、他団体との協力を含め、幅広い活動を展開する。
<<専門部会>> 1. 賃金部会
<<職種別部会>> 1. 事務職員部会
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