No.20
2009.2.13
熊本大学教職員組合
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国際化推進の一方で
崩壊に向かう教養教育改革
— 大学の本分を見失い
社会の要請に逆行する!?「議長私案」 —

 1月27日、熊本大学では国際化シンポジウムと国際化推進機構開設式が執り行われました。そもそも教職員の参加が難しい授業期間中に行われた行事ですので、ほとんどの皆さんが、国際化予算の申請に関わる審議の過程と同様、蚊帳の外に置かれた気持ちだったのではないでしょうか。
 当初懸念された国際化のための予算の問題については、昨年の12月24日に21年度予算案が閣議決定され、国際化事業の資金として申請中の特別教育研究経費
(1億円弱)が支給される見込が内示されたため、少なくとも当面は、たとえ学長裁量経費だったとしても学内の貴重な資金を切り崩す必要は無くなったことになります。
 学内予算の持ち出しが避けられたことは、それ自体喜ぶべき事かもしれません。しかし、1億円の予算確保は、その額に見合うだけの実績を残す義務を背負い込むことに他なりません。新たに国際化推進機構長となった学長は、開設式後の記念式典に文部官僚を招き国際化拠点大学30校の争奪戦に向けた意気込みを示していますが、初年度採択の12校に選ばれれば年間5億円の資金の提供が見込まれ、来年度だけでも合わせて6億円相当の国際化事業の実施が義務づけられることになるのです。
 法人化後になされた競争的資金獲得の内情を振り返ると、事業実施の当事者があずかり知らぬところで企画・申請された計画が、ある日突然丸投げされた形で我が身に降りかかり、本来行うべき教育研究業務に支障を来す事態が幾度となく生じてきました。今回もまた、巨額の資金の執行のため、どのような犠牲を強いられるのか不安は広がるばかりです。国際化は教育研究の活性化の程度を反映する尺度の一つと言えなくもないでしょうが、教職員の本来の業務である教育研究の質的改善を図る上での目標とはなり得ない周辺的で副次的な要素に過ぎません。これを目標に据え、徒に実績作りを求められれば本来達成すべき教育研究上の成果を上げることは困難になるでしょう。
 一方、教育研究業務に許される資金は年々減少の一途を辿っており、業務は繁忙化、入学者の多様化、全国的な学力低下等の影響も相俟って、10 年前と比較しても学生教育において一定の成果を収めることが困難になってきています。確かに、留学生数等の数値に表れる国際化の遅れは事実でしょうし、国を挙げた「留学生30万人計画」の一端を担うことは国民の期待に応えるうえでも意味ある戦略と言えるでしょうが、その一方で国立大学が本来果たすべき使命である教育の向上に向けた取り組みがおろそかになっては本末転倒と言わざるを得ないでしょう。残念ながら、熊本大学におけるこの本質的な課題の解決に向けた戦略的な取り組みは、全く手つかずの状態にあると言わざるを得ません。
 1月8日の部局長等懇談会の席上で配布された西山教育会議議長名による「教養教育改革の方向性について(議長私案)」
(以下、「議長私案」と略す)には奇しくも閣議決定と同日の12 月24 日の日付が付されています。また、「議長私案」が記されたこの日は、今後の高等教育の方向性を決定付ける中教審の「学士課程教育の構築に向けて(答申)」(以下「中教審答申」と略す)が提出された日でもあるのです。
 今回のニュースでは、「議長私案」とその原案にあたる「教養教育改革WGにおける審議状況に関する学部への問いかけ」
(以下「問いかけ」)と略す)、および「答申」とその内容を色濃く反映させた「第2期中期目標・中期計画素案」を巡って、教育の側面から本学の運営方針に警鐘を鳴らしたいと思います。

「議長私案」の内容
 まず、今回提出された「議長私案」の内容について、かいつまんで説明します。西山議長が提案する改革の方向性は、概ね以下の5点に集約できます。

外国語・情報科目、基礎セミナーについては概ね現行通りとするが、後者については科目区分、負担体系の見直しの可能性も含めて検討する。
主題科目・学際科目については、体育・スポーツ科学科目等の教職関連科目は別途考慮するとし、その他の科目については
(ア) リベラルアーツ科目として一体化、
(イ) 各学部からの需要に従い開講科目の内容とコマ数を限定し、
(ウ) 1クラスあたりの受講人数を肥大化させる
ことにより開講コマ数を削減する。
専門基礎科目、キャリア教育、学外との連携による教育については②の結果に応じて検討する。
教養教育の卒業用件単位数を削減の可能性も含めて見直しを行う。
②の具体化のための作業部会を各学部の代表と教育会議の代表者で組織する。
これら5項目を見る限り、大学人ならずとも、社会一般の常識的な判断のレベルにおいてさえ、この「議長私案」が目指す方向性は、「教育改革」の旗印とは正反対に教育の退廃を招かんとするまさに羊頭狗肉の宣言であると思わざるを得ません。

停滞の末に迷走する教養教育改革
 教育の質の確実な低下を招くであろう「議長私案」の動機は極めて単純です。度重なる定員削減、研究科や学科課程の拡充等による教職員の業務負担は法人化を境に急速に増大し、教養部改組以降継続されてきた教養教育の学部負担体制も既に限界に達しているといえます。この様な事態は、2005 年度末に各学部・教科集団の意見を集約した「教養教育のコマ数負担の考え方」において、既にほとんどの回答が教養教育の過重な負担に喘ぎ、実施体制の見直しを含む打開策の検討を切望していたことからも容易に想像できたはずです。しかしながら、学長をはじめとした役員たちは、それぞれが担当する中期計画の達成を闇雲に促すばかりで、教職員の置かれた窮状を見向きもせず、なんら対策を講じることはありませんでした。
 非公式ながらこの問題をはじめて取上げたのは、2006 年12 月に西山教育担当理事によって臨時的に召集された教養教育改革検討談話会でした。このわずかに3 回のみ開かれた談話会の流れを受けて発足したのが「問いかけ」の出発点となった教養教育改革検討WG です。西山理事はこのWG の設置に当たり、教養教育の責任母体である教養教育実施会議の意向をまったく無視した人選を行おうとしたため、立ち上げが大きくずれ込み、初回のWG 会議が開かれたのは2007 年2月末に最後の懇談会が持たれてから実に1年以上の空白期間を経た2008 年3月のことでした。
 談話会の主たる論点は教養教育の負担軽減であり、教養教育のカリキュラムを含む質的な面での進展が見られたのは、初修外国語を必修としていない一部の学部学生の要望に応えて東アジア言語教育の拡充案の道筋が付けられたのみであり、教養教育の基本理念である総花的で細分化された「熊本大学21世紀教育目標」は一切の変更を加えられることなく、手つかずのまま放置されることになったのです。それもそのはず、この当時の教養教育には、カリキュラム改革を要するような質的な課題は、少なくとも現教育担当理事の認識上には存在すらしていなかったのです。

「議長私案」と「答申」との深刻な乖離
 ところが、1年間の空白期間を経て再開された教養教育改革検討WG では、それまでの流れに反し、全く新たな課題としてカリキュラムの大幅な見直しを検討することが求められました。これは、中教審の大学分科会が2008 年3月に公表した「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」の内容を受けての方向転換であったと思われます。
 「学士課程教育の構築」とは紛れもなく教養教育を含めた大学教育の大枠に関わる抜本的見直しを意味します。昨年末の「答申」は教養・専門の別を問わず、現状の教育課程が抱える問題として、科目内容・配列に学習の系統性や順次性などが配慮されていない点を指摘し、「学士課程教育では,完成教育よりも,専門分野を学ぶための基礎教育や学問分野の別を超えた普遍的・基礎的な能力の育成が強調されている。そこで,教育課程の体系性に関しても,学問の知識の体系性だけでなく,当該大学の教育研究上の目的に即して,専攻分野の学習を通して,いかに学生が,学習成果を獲得できるかという観点に立つことが一層大切となる。」と述べています。つまり、個々の大学の教育研究の目的に照らし、学生において期待される大学共通の教育成果を明確にすることが何よりも優先されるべきであり、その教育成果を実現するための系統性と順次性を保証したカリキュラムを再構築することが求められているのです。従って、どの学部の学生にどの領域の教養教育科目を提供するかなどといったことは二次的な問題でしかないはずです。
 学部への「問いかけ」は、西山理事から6月18 日の第4回WG会議に提案され、複数のWG委員からの強い反対を押し切るかたちで審議不十分なまま採択されました。その後、教育会議議長名による「問いかけ」が行われ、各学部における検討と意見の提出が求められたのです。10 月末に集約された各学部の回答を踏まえて西山理事が提示した教養教育改革の方向性が問題の「議長私案」です。
 複数の学部が「問いかけ」が提示する論点そのものに疑念を呈する回答を寄せているにもかかわらず、「議長私案」は「総じて、改革の検討を続けることに対する反対はなかったと認識している」と、あたかも「問いかけ」が示唆する教養教育カリキュラムの見直しの方策に賛同を得たかのような総括を行っています。分けても問題なのは、「問いかけ」における3つめの論点である「学部責任体制による主体的カリキュラム設計・改善システムの構築、並びに社会的要請に柔軟に対応する余力を生み出すための負担軽減を目的として、主題科目Ⅰ・Ⅱおよび学際科目について、専門科目と一体的に見直すことが必要ではないか?」について、各学部が指定する科目の擦り合わせによる教養教育科目数の削減、および、教養科目と専門科目を同一視する事による専門科目の削減の姿勢に一切の陰りも揺らぎも感じられないことにあります。
 「答申」は、「各大学では,それぞれの個性と特色に基づいて,基礎教育や共通教育,専門基礎教育,専門教育などの適切な区分を設けた上で,教育課程を編成・実施することが期待されている」と、教育成果を獲得する手段としての教養教育と専門教育の機能分化・構造化をむしろ肯定しており、かつ、「共通教育や基礎教育の後退傾向や専門教育の早期化の動き」を、「学生の学びの幅を早期から狭めてしまう」要因の一つとして問題視しています。
 何れの点をとっても「議長私案」が大学教育に求められる将来像から大きく逸脱した方向へ進んでいることは間違いありません。また、現在2月末を目処として意見の照会が行われている「第2期中期目標・中期計画素案」
(以下「素案」と略す)の教育関係(1)「教育内容及び教育の成果に関する目標」の目標1に示されている「学士課程においては、本学の教育目的に即した、順次性のある体系的な学士課程教育プログラムを構築して、専門性を兼ね備えた学士力を習得させ、社会に貢献できる人材を養成する。」という目標設定は、「答申」の求めに沿ったものであると考えざるを得ませんが、その具体的な改革方針が「答申」の趣旨をはき違えた「議長私案」だとすれば、熊本大学は第2期を迎える以前に破綻への一歩を踏み出したことになります。

当事者不在の検討体制
 「議長私案」のもう一つの問題は、今後の検討および調整組織として教育会議の下に設置を提案している作業部会の性格に関係します。西山理事は、この作業部会の構成を各学部の代表者と教育会議の代表者により組織しようと提案しており、「素案」においては、さらに具体的に「学士課程教育改革委員会」という仮称まで設けられています。さらに問題なのは、この学部の代表による会議体に、検討・調整のみならず、事もあろうに実施に関わる責任まで担わせようとしていることです。全学部の学生に共通して期待される教育成果がいかなるものであり、その獲得のために教養・専門を通じて通底させるべき教育課程の体系性・順次性をいかに構築するかといった大枠の決定には教育会議レベルでの議論が不可欠です。しかし、どの領域の、どの授業科目を、教育課程の体系の中のどの段階で提供するかについて的確な判断が可能なのは、個々の学問分野の教育研究活動の特性を正確に理解している当該領域の専門家のみであり、専門領域と教員組織が必ずしも一体化しているとは言えない本学の実態を踏まえれば、実質的な検討を行えるのは、個々の教員の専門性に基づいて構成されている教科集団であり、実施に向けた調整を行えるのは教科集団の合議機関である教養教育実施会議およびそれに属する小委員会のみであるはずです。また、教養教育の実施に関わって発生する種々雑多な業務については、学部の代表により構成される作業部会では想像すらできないでしょう。場合によっては作業部会の不用意な発案が、円滑な授業実施の妨げになり、教育成果の獲得が達成されないことも十分に考えられるのです。

今すぐに検討方針の転換を
 西山理事は「問いかけ」において、「各教科集団におけるカリキュラムの検証・改善は行われているとしても、教科集団を横断した教育課程全体の望ましいあり方の検証・改善体制が十分に構築され、機能しているとは言い難い」と、現在の実施体制に対する批判を展開しています。しかしながら、各教科集団の活動を第1期中期計画の元に萎縮させ、検討の範囲を個々の教科集団の開講科目に限定させることにより、教育課程における当該科目の位置づけや異なる科目との関係についての検討の機会を奪ってきたのは、他ならぬ教育担当理事であり、統括的な立場にある学長の責任であると言えるでしょう。自らの任期がやがて終わろうとしていることを良いことに、その責任を棚上げするために、責任の所在を教科集団から学部にすり替えるのはあまりにも無責任です。
 なによりもまず、教養部の改組により、全教員の教養教育への理解に基づく協力体制を強化しようとする試みは明らかに失敗に終わっており、教養教育が徐々にその担い手を失い、寧ろ教員の教養離れが確実に進行している事実を素直に認めるべきでしょう。他大学では、同様の反省に基づいて、教養教育の主体となる教員組織の再構築を行い、実施体制を強化する試みもいくつか見受けられます。はたしてそれが本学に於いても可能な選択であるかどうかは慎重な検討を要する問題でしょう。しかし、少なくとも教育に関わる問題については、法人化以降のトップダウンと専断をはき違えた杜撰な大学運営のあり方が有効に機能していないことは明らかです。熊本大学の将来を思う気持ちが少しでもあるのであれば、いますぐにこの方向性を転換することが期待されます。次期中期目標・計画期間を目前に控えたこの重要な時期に、学士課程教育の構築の必要性について全教職員の理解を促し、実施体制強化の方策を含めた全学的な議論を喚起しなければ、仮に教育の国際化に一定の成果が得られたとしても、熊本大学が国内における他大学との教育面での競争力を失うことは避けられないでしょう。
 熊本大学が地方国立大学としてその使命を果たしていくためには、質の高い教育を提供し続けることが大前提となります。教養教育改革に関わる今後の手順等については、3月中に開催される教育会議において議論される予定です。決して「議長私案」を黙認することなく、あくまでも教育改善の視点から、各部局等、および実施機構による積極的な意見が交わされることが求められています。
 組合では今後も教養教育改革に関わる動向をお伝えするとともに、より良い改革を望む現場の声をご紹介していく予定です。教養教育改革に関わる皆さんのご意見を組合までお寄せ下さい。


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