アンテナ
No.62
2004.2.16
熊本大学教職員組合
Tel.:096-342-3529 FAX:096-346-1247
E-mail:ku-kyoso@mx7.tiki.ne.jp

 
 
 
「知の継承」と「夢を持って働ける大学」のために
-法人化後の「外国人教師」の「取扱い」に関する評議会「決定」の撤回と再考を求める-

10年後には熊大を去れ!?
 2003年12月25日の評議会で、「現在の外国人教師等の法人化後における取扱いについて」(以下、「取扱い」と略記)という提案がなされ「承認」されたと聞きます。それは、現在7名いる外国人教師を有期労働契約の常勤教員に切り替えるというものです。正確には、2003年度末で退職予定の2名の後任については、「有期労働契約の常勤教員として外国人を雇用」し(「取扱い」第2項)、それ以外の5名は、当人と「協議をした上で、平成17年度以降は有期労働契約の常勤教員に切り替える取扱いとする」(「取扱い」第3項)となっています。
 「常勤教員」という表現は、いかにも響きがよいものです。(私自身、「外国人」教師という表現は使いたくないのですが、このアンテナでは、曖昧さを避けるため外国人教師とします。)しかしそれは、3年と期間を限ったものであり、しかも、再契約(契約更新)は2回までとされているのです。つまり、もしこの「取扱い」がそのまま適用されれば、これまで熊本大学の教育と研究に情熱を傾けてきた人たち、これからの熊本大学の発展のために今も尽力している人たちが、最長でも9年で例外なく熊本大学を追われてしまうのです。
 9年という期間も、けっして「保証された」ものではありません。なぜなら、雇用期間を定めた「取扱い」の第7項に「ただし、期間満了時において部局での審査の結果、雇用を継続することが必要であると判断される場合は...」とあり、大学の運営が財政的に厳しくなった場合などに、一方的に雇い止めされる可能性があるからです。そして、身分は助教授に固定され、本人がいかに努力し業績を上げようとも教授への扉が開くことはありません。
 私には、こうした形態で現在の外国人教師の方々を雇用することが、これからの熊本大学にとって最善の選択だとはとても思えません。これでは、熊本大学にとって大きな力となっていた枝が枯れてしまうのです。

はたして十分な現状把握と議論はなされたのか
 この「取扱い」に関する全学的な検討が始まったのは、昨年11月末のことです。そして、12月16日開催の第16回運営会議で案の骨子が提示され、上述したように、12月25日の評議会での決定へと至りました。その間およそ1ヶ月。本当に十分な議論・検討がなされたのでしょうか。私が知る限り、当事者からの意見聴取と当該分野・学科等の意向聴取をふまえて、評議会での決定以前に、組織的な対応がなされたといえるのは教育学部のみです。他の学部では、教授会での協議を経た意志決定がなされたでしょうか。
 また、この問題は学部のみに関わるものではありません。全学の一般教育・外国語教育の実質的な運営母体である教科集団にとってもきわめて重要な問題なのです。ところが、この間、教科集団にたいして、これまで外国人教師が果たしてきた役割や外国人教師が担ってきた仕事についての情報提供が求められたことはありませんし、これからの任用のあり方について検討や意見が求められたこともありませんでした。はたして、外国語教育の運営や改革・改善には経験を蓄積した外国人教師の存在が不可欠であるということ、外国人教師が、表に出ることはないものの大学にとって欠かすことのできない数々の業務を担ってきたということは、認識されているのでしょうか。外国人教師とは、ただ「会話」を教える語学学校の講師ではないのです。

外国語を教える道具にすぎないのか
 当事者である外国人教師たちは、教授会に出席し意見を表明する権利を与えられていません。自分の待遇が、これまでよりもあきらかに悪いものへと変更されようとしているときに、所属する組織の最終的な意志決定の場である教授会で自らの考えを発言できないのです。
 12月25日の評議会後に「取扱い」の内容を聞かされた外国人教師の1人は言いました、「私がこれまで熊大のためと思いやってきたことは、どう評価されたのだろう。自分の大学として、熊本大学に愛着を持ち、精一杯つとめてきた。家庭を築き、この地に根ざして熊本大学での仕事を続けたいと思いながら、教育と研究に努力してきた。その結果がこれなのか。なぜ、私たちは、このような仕打ちを受けなければならないのか。」こういう声もありました。「今回決定された内容を聞き、失望した。法人化は、大学が自らの判断でこれまでの外国人教師という枠を撤廃し、国籍による差別をなくし、本当の意味での国際化へと脱皮する契機になると期待していた。任用や待遇が、教育と研究の能力で判断されるのならまだ理解できるが、そういう内容にはなっていない。これは、明らかに、国際化の流れに逆行するものではないか。」
 「取扱い」を肯定する方々は、こうした声にどう答えるのでしょう。もし、みなさんの中に、「誰だって、自分にとって不利なことが起こったら不満を言うものだ。そもそも、当人の意見に耳を傾ける必要はない。」という考えの方がいたら、その方にはこう申し上げたい。近くにいて、これまでの彼/彼女たちの教育と研究にたいする真摯な姿勢と努力、そして、その実績を知っている多くの人間がこの「取扱い」に反対していると。

「神話」の解体
 これまでも、外国人教師の職にある人たちに、その待遇について、誤解あるいは認識不足に基づいた批判がなされることがありました。私の回りでも、同程度の学歴や職歴の日本人よりも高い給与を得ている、厚遇されている、という声を聞くことがありました。では、外国人教師には、扶養手当がないこと、雇用保険がないこと、介護保険もなく、共済組合ではなく「国民」健康保険に入り、17年以上在職しなければ年金をもらえないということを、いったいどれだけの人が知っているのでしょうか。退職手当も日本人の場合のおよそ五分の一というきわめて低い率によって換算された金額となるのです。
 今、熊本大学で働く外国人教師たちは、日本人教員よりも良い待遇を求めているのではありません。もう、そろそろ、「神話」に終止符を打つべきときです。

他大学の鑑とすべく
 法人化を目前にし、すべての国立大学が同じような課題に取り組んでいるということは、いうまでもありません。「外国人教師」という制度そのものがなくなることを理由(口実)に、現職の外国人教師をいっせいに解雇しようとしている大学もあると聞きます。それに比べれば、熊本大学の「取扱い」は評価すべきだという主張もあるかもしれません。しかし、「粗悪品」と比較して満足していいはずはありません。むしろ、他大学が鑑とするもの、私たちひとりひとりが誇れるものを創造すべきです。
 私は、国籍に関わらず熊本大学の職員は同じ扱いをすべきだと考えます。かりに、新たに任用する人については任期3年・更新2回までという契約条件を付すとしても、現在の外国人教師の方々に適用してはならないのです。
 これまでのように、制度というしがらみによって押さえられ、個々の大学が自らの動きを主体的に決定できないというのであればやむを得ません。しかし、今、私たちは歩んで行く道を選べるのです。一本一本の木が、たおやかに枝を伸ばす新緑の道を選ぼうではありませんか。
 学長は、12月25日の評議会で、自ら当事者への説明に行くという趣旨の発言をなさったと聞きます。ぜひ、生きた声に耳を傾けて下さい。そして、大学運営の中心を担っていらっしゃる方々とともに、もう一度、この問題に向き合って下さい。英断を願ってやみません。

 

アンテナの目次に戻る